釜中の魚と轍鮒の急

漢字多めの雑記ブログです

忘れられないMさんの話

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漢字とは関係ないが、ブログに書き留めておきたくなった幼少期の思い出話がいくつかあるので、これから気侭に更新していこうと思う。

 

 


今回は、小学校低学年の頃のクラスメートだった「Mさん」の話だ。

 

 


Mさんは物静かな女の子だった。

 

肌が雪のように白く、とても整った顔立ちをしていて、当時まだ幼く「美人」等の概念をよく分かっていなかった私ですら、Mさんは別格で抜群に可愛い子だと認識していた。

 

彼女とは特別親しかったわけではなく、学校で少し言葉を交わしたことがあるくらいの間柄だったが、一度だけ少し密に関わる機会があった。

 

それは小学校2年生の国語のとある授業でのこと。


ドラえもん」に出てくるひみつ道具のような、こんなものがあればいいなと思う道具を考え、絵と言葉で説明し発表する、という主旨の授業だった。


教科書には「あったらいいな、こんなもの」と題して、挿絵にドラえもんが描かれていた。

国語の授業でこんな面白そうなこともやるんだな、とワクワクしたのをよく覚えている。

 

まずはひとり一人が思うままに考えた道具の案を提出した。

その後先生が似ている案同士でペアを作ってくれて、そのペアで両者の案を統合させて1つの道具を考え発表するという流れだった。

 

 

そのとき私はMさんとペアを組むことになった。

 

 

私が考えた道具は、忙しい主婦に代わって家事を行なってくれるロボット。

たぶん「ドラえもん」に引っ張られたのであろう、"道具"というよりも夢のある"家族の一員"を考えついたのだった。

 

 

一方Mさんが考えた道具は、どんなに物を入れても重くならない袋。

たいへん実用性に優れている、あれば誰もが使いたくなるような道具である。

 

 

Mさんと共に2つの案を合わせた道具を考えることとなったが、ここで致命的な問題が発覚する。

 

 

 

私の案とMさんの案には、共通点どころか類似点すら見当たらないのだ。

 

 

 


家事代行ロボットと無重力袋─────先生はなぜこの2つを似ていると判断しペアを組ませたのか、不思議に思った。

まあ、今思えば各自で自由に考えた道具に都合よく似ているアイディアがあるとは限らないから、先生も苦肉の策で私達をペアにしたのだろう。

 

 

 


さて、私とMさんは道具を考えるにあたって頭を抱えていた。

 

無理もない。全くの別物のアイディアを合わせて1つの道具にしなければならないのだから。

 

なかなか良い考えが思い浮かばず、加えて口数が少なく美人なMさんを前に、私は気まずい思いをしていた。

 


難航している私達を見かねた先生が、助け舟を出してくれた。

 

 

「ロボットがお買い物をするときに持つバッグを、重くならない袋にしたらいいんじゃない?」

 

 

────せっかくの先生の助言だったが、私の頭の中はクエスチョンマークで埋め尽くされた。

 

 


先生のアイディアじゃあ、袋を持って得をするのは道具を使う私たち「人間側」ではなく、「道具側」のロボットである。


先生相手なので反論こそしなかったものの、道具が道具を使うという斜め上を行く発想に、頭の堅い私は戸惑いを覚えていた。

 

対してMさんは納得したようすで、先生のアイディアに同意していた。

 

 

2人ではどうしても良いアイディアを出せなかったのだ。私も心の内では晴れない疑問を持ちながらも、妥協して先生のアイディアを採用することにした。

 

 


おとなしいMさんなので会話には積極的ではなかった。


ただ、ロボットのイメージ図を一緒に描いていたとき、ピンク色のクーピーを手に持って見せ、

 

「バッグはこの色でどうかな?」

 

と少しはにかんだ様子で訊いてくれた。

 

 

美人な女の子がこんなにも可愛らしい仕草をして、断る人間などいるだろうか───。

 

 

 

 

家事代行ロボットをお買い物代行ロボットと改め、斯くして私とMさんの"重くならないバッグで買い物をしてくれるロボット"案が完成した。

 

Mさんと2人で道具の案をクラスメートの前で発表した。

 

まずは私がお買い物代行ロボットの概要を説明する。

Mさんは小さくも綺麗な声で、ロボットの持つバッグが買った物を入れても重くならない仕様である旨を説明した。

 

せっかくMさんが考えてくれた便利な袋が最終的には申し訳程度の要素でしか残らなかった。

 

当のMさんは納得しているようにも見えたが、彼女はおとなしいので本音を出せず、心の中では不満を抱いていた可能性も否定はできない。


少し後ろめたい思いを抱きつつ授業は幕を閉じ、Mさんと密に関わる機会はそれが最後だった。

 

 

 

 


小学校3年生の終わりに、私は市外への引っ越しで転校することとなった。


転勤の多い時期だったので、転校する児童は私のほかにも数人いた。その中にMさんもいた。

 

 

 

転校前の修了式の日のことだった。


最後にみんなの前でお別れの挨拶を済ませ、帰り道を歩いていた途中。

 


反対側の歩道を歩いていたMさんが、今まで聞いたこともないくらい珍しく大きな声で、

 

 

「〇〇ちゃん、ばいばい!」

 

 

と言って私に手を振ってくれた。

 

 

私はすかさず手を振り返した。

 

 

ロボットの件以来Mさんに対して抱いていたちょっとしたわだかまりが、するりと解けたような気がした。

 

 

 


私とMさんはその日を最後に同じ小学校を去り、別々の学校へ転校した。

 

 

 

 

 


それから数年後、思わぬ形でMさんと再会することとなった。

 


高校1年生のとき、mixiというSNSが大流行していた。


私も例に漏れずmixiに登録し、毎日のように取るに足らない日記を更新していた。

 

当時の私は、小3まで同じ学校だったMさんではない旧友と、文通やメールで親交を続けていた。


その旧友をmixiに友達登録したことがきっかけだった。


旧友を介して、「友達の友達」としてかつての小学校の同級生達とも繋がることができたのだ。

 

 

そして私は、高校1年生になったMさんともmixiを通して邂逅したのである。

 

 


彼女とのメッセージのやり取りは、取り留めもないことばかりだった。

 

「元気にしてた?」等のほんの少しの応酬をしただけで、それ以上の親交はなかった。

 

 


プロフィール画像で笑顔を見せる色白の美少女は、当時の物静かさを残していなかった。

 

数年の時を経て、Mさんは美人なことだけは変わらないまま、

明るくてたくさんの友達に囲まれ、私とは住む世界の違うような陽のあたる存在になっていた。

 

否、本来いるべき場所にいられるようになったというのが正しいのかもしれない。

 

 


mixiの流行も長くは続かず、当時のアカウントと共にMさんとの繋がりも消えてしまった。


再会のきっかけとなった旧友の連絡先も分からなくなってしまい、Mさんの現在を知る術はもうない。

 

 

 

それでも私には分かる気がする。

 

 


彼女はきっと今も、陽のあたる場所で楽しい毎日を過ごしているのだと。

 

 

 

 

 

あの修了式の日にかけてくれたMさんのよく通った高い声が、彼女の明るい今に繋がっていると考えるのは、ちょっと傲慢だろうか。

 

 

 

そうだったら嬉しいな───。

 

 

 

彼女に思いを馳せながら、私は田舎のフードコートの片隅で1人、この記事をしたためるのだった。