釜中の魚と轍鮒の急

漢字多めの雑記ブログです

蛾と自由研究と私

 

 

今週のお題「わたしの自由研究」よりテーマを借りて。

 

 

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蝶と蛾の違い。

 

小学校1年生の夏休みの自由研究で私が取り上げたテーマである。

 

これをテーマにした背景には、ある苦い思い出がある。

 

 

 

 

 

当時は団地の3階に住んでいた。

 

家を出るときも、家に帰るときも、かならず階段の昇り降りをすることになる。私にはそれが地獄であった。

 

というのも、団地の階段には蛾がよく集まってくるのである。蛾は私にとって大嫌いな虫だった。

 

 

 

 

蛾が嫌いになったきっかけは、忘れはしない、ある日のスイミングスクールの帰りのこと。

 

団地の階段の壁に、何やら真っ白で絵に描いたような綺麗な形のホタテ貝が貼り付いていたのである。

 

 

 

少なくとも当時の私の目には、それが壁に貼り付いた綺麗な貝殻にしか見えなかった。

 

なぜこんなところに貝殻が貼り付いているのかとても不思議で、私は思わず「それ」に触れてしまった。

 

 

 

 

 

 

​───────心臓が止まるかと思った。

 

 

 

 

手で触れた瞬間、「それ」は勢いよく羽ばたいて逃げていった。

 

「それ」は貝殻などではない、壁に止まっていた真っ白な蛾だったのである。

 

私は大声をあげて泣いた。これ以上涙が出ないと思うほど泣いた。

 

 

 

 

 

このトラウマのような出来事があって以来、蛾は私にとって忌避すべき虫として記憶に刻まれることとなったのである。

 

登下校のたびに、蛾がいるかもしれない階段をびくびくしながら昇り降りするという、地獄の日々であった。

 

 

 

 

しかし、私は蛾に対する思いを憎しみで終わらせるようなことはしなかった。

 

初めての夏休みの宿題、そこで忌まわしき蛾について暴いてやろうと決心したのだ。

 

 

テーマは「蝶と蛾の違い」。

 

 

一見よく似た昆虫である蝶と蛾だが、美しき蝶と忌まわしき蛾がどのように違うのかについて調べ上げ、昆虫の明暗をはっきり分けてやろうという思いからこのテーマを選んだ。

 

 

調べて分かった内容で唯一覚えているのが、「蝶は止まるとき羽を立てるが、蛾は止まるとき羽を広げる」ということ。

但し、これは絶対的な法則ではなく、羽を立てて止まる蛾もいれば羽を広げて止まる蝶もいるらしい。ごく一部だが。

 

 

 

 

 

自由研究の内容はさておき、私はこの研究を通して少し蛾をゆるそうという思いが湧いていた。

 

 

 

蝶のように愛される存在ではなくとも、蛾だって生きている。

 

ただ蛾に驚かされたからといって憎むことなどないのだ。

蛾にとっては、ただあの団地の壁で羽を広げて止まっていただけなのだから。

 

 

 

 

あの蛾だらけの団地からは10年以上前に引越し、今蛾を見ることはめっきり減った。

 

 

それでも偶に見かけたときにはあのときのトラウマが甦る。今でも苦手なことに変わりはない。

 

 

 

だが、自由研究によって得られた蛾へのほんの少しの理解が、私に落ち着きを取り戻してくれる。

 

 

 

 

私は生きている。蛾だって生きている。

 

もうお前に触れることは二度とない、だけどお互い頑張って生きていこうな。

 

 

 

 

心の中でそう呟いて、大人になった私は蛾の傍らを通り過ぎる。

 

 

 

 

 

幼き頃のトラウマと自由研究の思い出を反芻しながら。